プロフィール:
小宮山泰子 衆院議員
1965年埼玉県川越市生まれ。慶応義塾女子高等学校在学中に英国に留学。慶応義塾大学商学部卒。卒業後、日本電信電話株式会社(NTT)に入社。議員秘書、埼玉県議2期を経て、2003年衆院議員初当選。農林水産委員長等を歴任。現在6期目。
──自己紹介をお願いします。
衆院議員の小宮山泰子と申します。選挙区は、埼玉県の第7区、川越市、富士見市、ふじみ野市(旧・上福岡市)となります。
──議員経験は何年になりますか? また、その中で苦労されたことはありますか?
初めて立候補したのは、埼玉県議会議員。29歳のときでした。以来、今日まで政治活動を続けていますが、やはり、いちばん苦労したことは、女性であることだったと思います。なかなか議員として見てもらえませんでした。
国会議員になって以降も、男性議員と違う扱いを受けることは少なからずありました。例えば、「女性」の「議員」という存在を、なかなか認められず、会合に参加しても、議員として名刺を求められない。まず、自分が議員であるという説明から始めなくてはならない。それが、すごくもどかしく大変なことでした。
──では、議員経験の中で良かったと感じたことはなんでしょうか?
先日までの国会で、私も力を入れていたバリアフリー法の改正が成立し、多くの方が望んでいることを政策という形で実現できたことです。
また、社会のゆがみの中で苦しんでいる方々に頼っていただき、その悩みを解決するためのアプローチを見出せることは、議員冥利に尽きると思っています。
──昨今、女性議員の増加を求める声が高まりつつあるのですが、女性議員を増やすためには、どのようなことが必要だと考えますか?
ひとつは、やはり、女性自身がエンパワーメント(力をつけ不利な状況を変える)をすべきです。女性自身が、会議や公の場において、しっかりと発言することが重要だと思っています。もちろん、そうした発言をする際には、事前の準備や勉強が必要ですが、それらをひとつひとつ丁寧にこなしていくことで、チームとして政治を変えていける。その可能性が十分あるということを、女性の皆さんに知っていただきたいと思います。
実は私も、国政で2度落選を経験しています。しかし、それでも政治家を辞めなかった理由は、「もしここで私が辞めたら、後に続く女性議員が肩身の狭い思いをするかもしれない」と思ったからです。女性議員に対して、「すぐ逃げる」とか「弱い」といったイメージを持ってほしくありませんでした。
そのため、とにかく歯を食いしばって続けることにこだわってきました。
今、私の地元では、県議会議員や市議会議員として女性が活躍しています。続けてきてよかったな、と思う瞬間が以前よりもずっと増えました。
──間もなく臨時国会が始まりますが、次期国会で取り組みたい具体的な法案や政策はありますか?
たくさんありますが、直近の課題としては前田武志・元国土交通大臣、川端達夫・元衆院副議長が先頭となって進めてきた水循環基本法です。次は地下水保全法の成立を目指し、準備を進めているところです。
また、私の地元である川越は、小江戸とも呼ばれまして、昔ながらの街並みでご存知の方もいらっしゃるかと思います。こうした伝統的建造物は、地域のアイデンティティとなり、観光資源ともなるので、これらを守り、発展させていけるような建築基本法がつくれるよう、今、仲間とともに、議論を深化させています。
──国民民主党が掲げるスローガン、「対決より解決」。ズバリ、小宮山議員がこれまでに解決したことは?
ひとつは、子どもの貧困対策に関連した法律をつくったことです。しかし、貧困に苦しんでいる子どもは、残念ながら、いまだにゼロではありません。
法律はつくるだけではダメで、社会の中で生きて、現実的に問題が解決するまで、しっかりと対応していくことがわれわれの使命だと思っています。そういった意味では、この取り組みは、まだまだ道半ばといえるのかもしれません。
また、無電柱化を推進する法律も議員立法でつくりました。電線や電柱がなくなれば、青い空が取り戻せる。防災にも寄与できる。多くの自治体が願っていることを法律として具現化したものとなります。
──国民の皆さまに向け、今後の決意をお願いします
国民民主党は、国民のための政策をしていく。そして、女性やLGBTなど、さまざまな方々、多様な価値観を現実にしっかりと取り入れていく。そんな豊かな感性を持った政党にしていきたいと思っています。すべての人々が住みやすい日本をつくるべく、今後もしっかりとがんばっていきます。どうぞよろしくお願いいたします。