■政策はプロパガンダで伝えるべきではない


「フレームなき未来」——政治と情報のあり方を考える_200696_後編_09

角田: 先程のYouTube番組で玉木さんの認知度が高まったというお話について、大変僭越なのですが、僕はプロデューサーという職業柄、少し違和感を感じてしまいました。なぜかというと、結局その動画は、政治という本業のプロパガンダに使われているわけですよね。拙著にも書きましたが、僕はプロパガンダに使う広告というものは、この先どんどんなくなっていくと考えています。広告という「広く告げる」ものではなくて、反対に「告げてから広がる」という「告広」に変わると。つまり、「このお茶がおいしい」と思うある人が「これ、おいしいよ」とみんなに告げて広がっていく。ところが、仮に政治家の方の例だとして、「この人がいいというように、まず広げていこう」っていうのが先にあるということが……。

玉木: そもそもの間違い、ということですね。

角田: えぇ。そうじゃないのかなと。だから、もし玉木さんがネット動画を続けていかれるのであれば、政権を取るために作る動画ではなく、「俺は動画がおもしろいから、本気でやっている」という前提でなさるべきかなと。おもしろすぎると今度は、「何を番組に力を入れすぎているんだよ」と揶揄されるかもしれないですよ。でもそのほうが拡散されるし、それが政治を身近なものにすると思うんです。「広告」というフィルターを通して、ある情報やモノを大衆に渡そうとしている時点で、それはもう本質から離れてしまうと想うんです。

玉木: 本質的なことを真剣にやっていれば、いいものは勝手に広がっていく「告広」の力があるんですね。

角田: はい。誰が見ているのかわからないような番組を、いかに面白くするか。それが「エンタメの力」だと思うんです。ですから玉木さんの信じる政治、あるいは国民民主党が信じる政治がもし素晴らしいのならば、プロパガンダではなく本心を持って伝えるべきだと思います。ただ、いかに退屈させないように伝えるか。その演出のやり方は難しいんですけどね。

玉木: 尺が長くなるから、ですよね。

角田: 仰る通りです。なので、そこをどうやるかが、ディレクターの腕、プロデューサーの腕なんじゃないかと。国会中継が地上波の報道やネットで変に切り取られて、取り上げられて、おしまいとなるような現状があるならば、むしろそれを逆手に取って、切り取られているにも関わらず、そのシーンをつなげてみたら政策がすべて分かったという動画が作れれば、例えばおもしろいかもしれません。土井たか子さんのこの発言と、鈴木宗男さんのこの発言と、田中角栄さんのこの発言と、安倍総理のこの発言と、玉木さんのこの発言をミクスチャした映像を作ったら、「結局、国民民主党が言いたいことだった」というような。

玉木: おもしろいですね。まさに、プロのディレクターの仕事ですね。

角田: なので僕は、ディレクターやプロデューサーの隠れた演出力って時として低く見られていると思ってしまうんですよね。例えばあるスポンサーが、ある腕時計を宣伝したいというとき、「この時計はいくらで、性能がとても良い」という解説要素を番組にどんどん入れろと言うんですよ。でも、この時計が本当にかっこいいならば、ドラマの主人公の人気俳優につけてもらえば良くて、わざわざ商品の良さなんか、一切説明する必要はないんです。それでその腕時計は人気になります。そのことを政治でも、テレビの世界でも、もう一回気付かなきゃいけないんじゃないかと思っているんです。

玉木: われわれ政治家も、テレビも、本業できちんと勝負することが大事ですね。
 与党・野党は、つまり「赤組・白組」じゃないですか。「国会論戦」とか、「攻防が激化」というような言葉をメディアは使うけれども、別に戦っているわけでもないんですよね。ただ、それこそ見せ方・見え方で、「戦っている・争っている」風に見せるのがいいのかどうか。基本的に政治には対立があって、けんかして勝ったほうが権力を取っていく構造ですが、そもそもそういうことを世間の人たちが求めているのかどうかは、まさに角田さんにお聞きしたかったことです。

角田: SNSを中心とした情報革命が起こった今、僕はもう「うそをつかない」ということしか、残らないと思います。うそをつくと、ばれてしまうようになったから。最悪なのは、本当は全く反省していないのに、謝罪会見を開くことじゃないですか。あれがいちばん、バッシングを受けるし炎上しますよね。だから、もし謝罪会見を開くなら、本当に反省するしかない。逆も然りで、もし玉木さんや他の政治家が怒っていることがあるなら、本当に怒るしかない。

玉木: 何事も、ガチで真剣にやるということですよね。


 ——最後に、お二人の今日の感想をお願いいたします。


玉木: 今は政治が変化しつつある時代ですし、変えることも可能になってきていると思います。古い仕組みから新しい仕組みへの移行期にあって、何か少しのきっかけで変わっていく。まさに、その入り口にいるような気がします。

角田: 本当にそうですよね。

玉木: 少しずつ漸進的に変わるという話もありますが、私は一気に変わることも可能になってきていると思う。例えば財政のあり方も、「何でもかんでもタダ」というものはありませんから、「負担があって、給付があるんです」という話を、きちんと言うべきですね。そこで、ガチで、うそをつかないことだと改めて感じましたね。

角田: 今の話をプロデューサー的に解釈すると、全くもって玉木さんのお話には同意しているのですが、「だから自民党はうそをついている」と言うと、そこでまたプロパガンダに見えてしまいますよね(笑)。そこを、エンタメの力でどう伝えるかだと僕は思うんですけども。すみません、ついついしゃべり過ぎてしまいました。

玉木: いえいえ。でも私は本当に、世の中を変えることができると心底思っているんですよ。信じているんです。自分は政治家の家系というわけでもないし、これまでの社会であれば、「一介の田舎者にはムリ」と言われてしまうところを、今は何でもできる。あとは課題設定の仕方と、どうやってそれを伝えるか。そこをきちんと戦略的にやれば、いくらでもいい方向に変えられると思うんです。

角田: 僕もそう思っています。

玉木: ありがとうございます。ぜひ、またお力添えをいただけましたら。動画についても、ご教授願いたいです(笑)。

角田: もちろんです。こちらこそ、本日はありがとうございました。


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