誰もが何度でも、やり直せる社会はつくれる。(前編)1

川口加奈氏(左)と玉木雄一郎代表(右)

 「新しい政治の流れを作る」をコンセプトに、政治家・玉木雄一郎が各界で活躍するゲストを迎え、約束事なく遠慮なく、本音で語る。今回のゲストは、特定非営利活動法人Homedoor(ホームドア)理事長を務める川口加奈氏。14歳からホームレス支援活動を始め、19歳でNPO法人を立ち上げた川口氏は、2018年6月に長年の夢だった自立支援施設を完成させた。ホームレス支援が機能する社会のために、解決の糸口となる政策とは何か。NPOからの視点、政治のあり方について、本音を語った。(前編)


川口加奈(かわぐち・かな)
特定非営利活動法人Homedoor(ホームドア)理事長。1991年、大阪府生まれ。14歳でホームレス問題に出会い、炊き出しや「100人ワークショップ」などの活動を開始。19歳でHomedoorを設立し、シェアサイクル事業の「HUBchari」などを通じて、ホームレスの人々や生活保護受給者ら計160人以上に就労支援を、600人以上に生活支援を提供する。「Google インパクトチャレンジ」のグランプリ、青年版国民栄誉賞とされる日本青年会議所主催の「第31回 人間力大賞」でグランプリなどに選出。
http://www.homedoor.org

玉木雄一郎(たまき・ゆういちろう)
1969年香川県生まれ。国民民主党所属の衆院議員、国民民主党代表。東京大学法学部卒業後、1993年に大蔵省(現財務省)入省。1997年ハーバード大学ケネディスクール修了。2005年に財務省を退職、衆院選に出馬し落選。2009年に初当選し、現在4期目。
https://www.tamakinet.jp


■原体験は、戦争文学だった


誰もが何度でも、やり直せる社会はつくれる。(前編)2

玉木:このたびは、日経WOMAN「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2019」(*1)で「再出発サポート賞」受賞、おめでとうございます。

(*1) 女性誌『日経WOMAN』が1999年から毎年実施するアワード。各界で目覚ましい活躍を遂げた女性を表彰する「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」の受賞者10人を決定、表彰している。

川口:ありがとうございます。

玉木:先日の受賞は、ホームレスの方のための自立支援施設を設立(2018年6月)された功績によるものだとか。こちらは、どういった施設なのですか。

川口:ホームレス状態になった方に、「あの施設に行けばなんとかなる」という機能を提供するために作られた「アンドセンター」という場所で、5階建てのビルになります。20人分の個室を用意しているほか、シャワー室やキッチン、ランドリースペースを設け、食料や衣類をお渡しすることもできます。

玉木:すごいですね。川口さんは、現在27歳と伺いました。ホームレス支援のNPOを弱冠19歳で立ち上げられて、今では体系だった仕組みにまでつなげているというのは、本当にすごいと思います。
 今日はまずお聞きしたかったのですが、そもそもなぜ、ホームレス支援の活動を始めようとお考えになったのですか。14歳の時に大阪・釜ヶ崎で炊き出しに参加したことがきっかけとは伺っていますが。

川口:はい。その炊き出し以前の読書体験も、今思えばきっかけだったと思います。小学生時代に遡りますが、戦争文学が好きだったんですよ。小学校5年生の時、学校の図書館にあった『はだしのゲン』を読んで、それ以来、戦争の夢を見てうなされるようになって。当時は「高師浜」という、大阪・堺市近くの沿岸部に住んでいたのですが、その高師浜から匍匐(ほふく)前進で軍隊が上陸してきて攻撃される……という夢です。「やっぱり、戦争はいけないことだ」と実感し、とても怖くなりました。海外では、自分と同じ年ぐらいの子どもたちも戦争に苦しんでいる。その子どもたちのために何か出来ないだろうかと、国際協力の仕事に就きたいと思うようになりました。

玉木:私にも、川口さんと似た経験があります。小学校の卒業文集に、「国連の事務総長になりたい」と書いていたんですよ。当時、アフリカの貧困問題を知って衝撃を受けて、何か自分ができることはないだろうか、将来そういう仕事がしたいと思って。しばらく忘れていたのですが、小学校の同級生が「お前、こんなことを書いていたぞ」と、その文集を持ってきてくれまして。自分の原体験の中に、そういうパブリックマインドがあったことをあらためて思い出しました。


■知ったからには、知ったなりの責任がある


誰もが何度でも、やり直せる社会はつくれる。(前編)3

玉木:国際協力の進路希望がホームレス支援へと変わったのは、やはり炊き出しの経験からですか。

川口:そうですね。14歳の時に炊き出しに参加しました。それまでは、自分には何でもできると、万能感みたいなものを持っていたんですよ。将来は国際協力の分野で貧困問題を解決するなど、華々しく活動したりしている未来像を思い描いていて……。でも、炊き出しに並んでいるおっちゃん(*2)がとても寒そうで、自分が着ていたコートを渡したくなったのですが、その後ろにも寒そうなおっちゃんがいる。そこで、強い無力感を味わいました。国際協力どころか、目の前の貧困問題に対して何もできていない自分という、現実を思い知らされたんですね。

(*2)川口氏がホームレスの男性を呼ぶ時の呼称。敬意を込めて「おっちゃん」と呼んでいる

玉木:何か、素通りできないものを感じたわけですね。

川口:先程お話しした戦争の夢も、ホームレス問題に向き合ったことに通じています。「生まれた国や地域が違ったら、自分も戦争に巻き込まれていたかもしれない」と思ったのですが、ホームレスになってしまう方の現状を知ると、決して他人事ではないなと。同時に、「自己責任だろう」と決めつけて、偏見を持っていた自分が恥ずかしくなりました。

玉木:なるほど。

川口:最初はその申し訳なさから、(ホームレス問題を)知ったからには、知ったなりの責任があると感じました。多くの人に、知る機会があるわけではないですよね。でも私はたまたま知ることができたので、今度は自分が発信していく番なのかなと。

玉木:川口さんが炊き出しを体験した当時、中学生によるホームレス襲撃事件もあったんですよね。

川口:そうなんです。当時の記事を読むと、少年の供述で「自己責任でホームレスになったやつらを、ごみ掃除してやったんだ」というような言葉が書かれていました。その「自己責任」という言葉が、自分が抱いていた勝手なイメージと同じだったことも、ホームレス問題と向き合うきっかけになりましたね。「ホームレスの人に暴力をふるってはいけない」と、学校の先生から教育的に言われるよりも、同世代の自分が「自己責任だけじゃないんだよ」「ホームレスのおっちゃんって、こんな人たちなんだよ」と発信した方が、伝わることってあるんじゃないかなと思ったんです。


■「ホームレス」への転落。それは、誰にでも起こりうる現実


誰もが何度でも、やり直せる社会はつくれる。(前編)4

玉木:ホームレス状態になってしまうのは、どういう経緯が多いのでしょうか。川口さんはそこに、自己責任ではないもの、「決して怠けていたわけではない」という背景を目の当たりにされたわけですよね。

川口:若い方の場合は、そもそも生育(家庭)環境があまり良くなかったケースが多いです。ネグレクトや虐待を受けて育った方とか。だから経済的に困っても親には頼れず、不安定な非正規雇用に就いた結果、若くしてホームレスになってしまったとか。またその場合、精神的にも不安定なことも多く、仕事を見つけても続けられず、家もなくなり、深夜営業店舗を転々とされているケースが多いです。
 40代以上の方ですと、普通に大学を出て一般企業に勤めていたものの、会社都合でリストラにあってしまったり、雇用環境が劣悪でうつ病を発症し、働けなくなってしまったという方もいます。ホームレス問題は他人事ではなくて、どんな人にも起こりうることなんです。

玉木:たしかに、「人生100年時代」と言われるこれからの時代を考えると、一層リアリティがありますね。たとえ今、上場会社に勤めていたとしても、「高齢になって仕事がなくなってしまうのではないか」という不安を抱えておられる方は増えている気がします。「貯金ゼロでも不安ゼロ」という、これからの社会のあり方が求められているのではないでしょうか。
 たとえば北欧型のベーシックインカムなども参考になりますが、それは現金ではなくても、家や食事、話し相手など、川口さんが実現させた自立支援施設のような場所の提供でもいいのかもしれませんね。戦後、多摩ニュータウンや千里ニュータウンといった、若い夫婦のための住宅施設がたくさん建設されました。ところが当時の住人は高齢化して、今は空き家も多くある。そこを高齢者が住みやすいよう、リノベーションするようなプロジェクトがあるといいですね。わが国は病院や介護用施設は多くありますが、体は健康でも、老化で身体能力が衰えた人が入れる公的施設がないんですよ。

川口:「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」という法律はあるんですが、先述の深夜営業店舗を転々としている方々は、路上で起居していないということで、その定義からは外れています。実態が非常につかみづらく、数も把握できないのでこちらからもアウトリーチできないし、結局助けの手を差し伸べることが出来ないという、難しい問題があります。

玉木:行政でも就労支援の一環としてパソコンのトレーニングプログラムなどがありますが、それは住所が必要なんですよね。ネットカフェを転々としたり、あるいは長期に渡ってネットカフェを自宅にしていたりするような方が、国が用意した職業訓練を受けようとした場合も、その時点での居場所を住所として認めるというような、制度の柔軟化が課題ですね。

川口:おっちゃんたちから「パソコンのトレーニングに行きたい」と言われたこともありましたが、住所が必要という制約から、かなわなかったんです。


■生活保護の受給率が低い日本


誰もが何度でも、やり直せる社会はつくれる。(前編)5

玉木:川口さんのこれまでの活動を通して、政治との関わりはあったのでしょうか。

川口:ほとんどなかったですね。私たちはまだ、ホームレス状態からの路上脱出を、新たな民間のセーフティーネットでつくるという模索段階なので。まずはホームレスの人に情報を届けたり、私たちのところに来てもらって選択肢を広げてもらったり、おっちゃんたちとともにつくり上げている途中なんですよね。「こういう支援のあり方が一番いい」というところを、見つけ出そうとしているところです。

玉木:「ホームレス状態になってしまったから、生活保護を受給しなさい」という誘導ではなくて、「働く」とか「再出発」という方向に持っていこうとしているのは、最初からそういう考えだったのですか。

川口:そうですね。2003年頃から、ホームレス状態からの申請でも生活保護の利用が少しはしやすくなって、それで脱出できた方ももちろんいるのです。しかし一方で、脱出できずに残っている人はというと、生活保護が利用できないさまざまな理由を抱えているんですね。扶養照会をどうしても避けたいとか、ご本人の希望として「体が動くうちはまだ、自分でお金を稼いで、国のお世話になりたくない」と思っていらっしゃる方とか。また、窓際作戦で、役所の窓口に申請に行ったけれど断られたという人もいます。

玉木:なるほど。日本には生活保護制度というものがあって、国の予算では年間3.8兆円を使っています。そして今、生活保護受給者世帯は過去最高になっている。好景気と言いながら、生活保護受給世帯が過去最高で、そのうちの半数以上が65歳の高齢世帯です。
 貧困高齢者を国がどう支援していくのかは大きな課題なのですが、日本が他国と最も違うところは、生活保護制度はあるのに、受給率が非常に低いという点。「手を挙げれば受給できますよ」と言っても、様々な理由で受給しない。中でも多いのは、いわゆるスティグマ(恥辱)と呼ばれることですね。つまり、「自分は経済的に困窮していて、頼る親も身内もおらず、仕事もない」という貧困の告白を求められるからです。手を挙げて申告させるという仕組みにした瞬間に、受給できるのに来ない人が出てくる。だから、そういう貧困の告白を求めないような制度を作れないものかと思うわけです。
 たとえば子ども食堂も、「経済的に困っている家庭の子どもはおいで」とうたうことは非常に過酷なこと。そこを「親の所得関係なく、子どもならおいで」とオープンにすることによって、はじめて困っている家庭の子どもをしっかり受け入れられるようになるのではないかなと。

川口:困っていても、手を挙げられないというのは、日本人特有のメンタリティなのかもしれません。

玉木:ええ。なので、民間のNPO団体さんのほうが、行政が持つ縛りや制約を離れて、柔軟性と自由度をもってスピーディーに仕組みづくりをやっていただけるのではと感じています。実際に、川口さんのところは実現されているわけですから。われわれとしては、NPO支援とかNPOに対する寄付税制を充実させるとか、少し間接的にはなるんですけど、そういう支援のほうに力を入れていくよう、議論を重ねています。



後編に続く)