──なぜ政治を志したのですか?


 衆院議員の大島敦(おおしま・あつし)です。1999年、電車で毎日通勤していました。新聞を読んでいたら、当時の民主党が候補者を公募していました。その記事を読んで、応募したのがきっかけです。もしも新聞記事を読んでいなければ、応募していなければ、そのままサラリーマンを続けていたと思います。当時564人の応募があって、合格通知が50人に送られて、17人が立候補して、3人当選したうちの1人。民主党の候補者公募によって誕生した初めての議員です。
 元々学生時代に2つのことを考えていました。1つは自分で事業を興したい、もう1つ政治にも興味がありました。ただ、戦後の日本を豊かにしたのは民間企業でしたから、民間企業に入って、クリエイティブな事業を興すことを志しました。その後、当時の民主党の公募に応募して、政治の道に入ってきた感じです。他党も含めて政治家間の合意形成を図る際には、会社生活で培われた本音を見抜く能力と忍耐力が大いに助けとなっており、その意味でもかつてサラリーマンとして仕事ができたことにいつも感謝しています。


 ──地元にはどのような課題がありますか。


 「地元選挙区の埼玉県6区(鴻巣市、上尾市、桶川市、北本市、北足立郡)の中に日本のすべてがある」と思っています。中小企業の経営者もいらっしゃるし、コメ、花き、野菜類、ナシやブドウなどの果樹をつくっている農業者、あるいは子どもを育てている方、サラリーマンをリタイアされた年金生活者、障害のある方、さまざまな方が選挙区に暮らしていらっしゃいます。選挙区を隅々まで知ることが、日本を知ることにつながると思っていますので、地元ではあまりしゃべりません。皆さんの意見や考え方を聞き続けるというのが私のスタイルです。例えば、私たちの地元は日本で最も高齢化が進む地域です。この地域の課題を解決することは、日本全体の課題を解決することにつながります。

【大島敦議員インタビュー】変化の時代に対応して、政治への信頼を積み重ねていく


 ──党の副代表として取り組まれていることを教えてください。


 一番大切なのは政治家同士の信頼感だと思います。わが党の中、野党の皆さん、あるいは与党の皆さん、そして役所の皆さんとの信頼関係。私たちを応援していただいている団体、あるいは応援していただいていないかもしれない団体、そして有権者の皆さんとの信頼関係を構築することが党の副代表としての責務だと考えています。

【大島敦議員インタビュー】変化の時代に対応して、政治への信頼を積み重ねていく


 ──「新しい答え。」を。


 ドイツに駐在していた当時、1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊しました。なぜ崩壊したのか。1970年代に2回のオイルショックが起こりました。それらによって省エネ・技術革新が起きて、追随できなかったソ連および東欧が崩壊したことが事の発端です。今起きていることは次のオイルショックだと思っています。新しい産業革命が今、起こっています。2012年に当時政府の情報通信審議官であった大学教授と意見交換する機会がありました。「今のインターネットの技術は1960年代の技術でつまらない。この技術で一生終わるのか」と質問したら、「そうだ」と答えられました。
 しかし、カナダのD-Waveという会社が量子コンピュータ※を開発したことによって、各国で量子コンピュータへの研究開発投資が進み始めているので、2020年代には完成すると思います。東京オリンピックが開催される2020年以降には翻訳や通訳、医療診断などの自動化も視野に入ってくるでしょう。これまでの延長上では全くない時代です。分厚い中間層をつくろうという方が多い、私もそうしたいと思っています。ODA(政府開発援助)の調査でも、仕事のビジネススキルを低、中、高スキルに分けると、情報の革新によって、中スキルの仕事がなくなっています。分厚い中間層はひょっとしたら、2020年代にできないかもしれない。今後「テクノロジーにどう対応していくのか」が世界の政治が取り組むべき「新しい答え。」だと思っています。私たち国民民主党はその「新しい答え。」を出していきたいと思っています。

※D-Waveの量子コンピュータは最適化問題に特化した専用計算機であり、当初から提案されてきた量子ゲート方式による汎用型の量子コンピュータとは異なる。


 ──ご覧の皆さんへ


 24年前から、当時はデファクトではなかったインターネットを使い始めました。日本で始めて開かれたインターネットの展示会見本市「Interop(インターロップ)」を幕張メッセに見に行って、世界は変わると確信しました。昨年中国の深センに4日間行ってきました。中国の技術革新の速度は圧倒的でした。日本があって、米国があって、中国に近いところにわが国日本があります。どのように米中両国とのバランスをとりながら、わが国の平和な状態を維持していくかというのが政治の課題そのものだと考えています。