玉木雄一郎共同代表は25日午後、ハンセン病患者家族が起こした裁判の控訴審判決を受けて患者家族や弁護士らが開いた院内集会に参加し発言した。
国のハンセン病隔離政策によって、患者だった母親(故人)とともに差別を受けたとして、鳥取県北栄町の男性が国と県に国家賠償を求めた訴訟の控訴審判決が24日、広島高裁松江支部で言い渡された。
1審の鳥取地裁が2015年9月に出した判決は、「国は患者の子に対する差別を除去する措置を取るべきだったのに放置した」と、一般論で国の責任を初めて認める一方、男性は母親が1994年に死亡後、診療録が開示されるまで母親が患者だと認識しておらず、不利益はなかったとして請求を棄却した。控訴した男性側は、仮に認識していなくても偏見や差別を受けていたとあらためて主張。国側は母親が罹患(りかん)を隠していたことから、男性は母親のハンセン病を認知していないなどとして控訴棄却を求めた。24日に広島高裁松江支部で言い渡された控訴審判決は、1審の鳥取地裁判決と同様、男性の請求を退けた。1審で認められた国の一般的な責任については判断を避け、男性については被害を認めなかった。鳥取非入所者遺族国賠訴訟弁護団は声明(PDFダウンロード参照)を出している。
集会であいさつに立ったハンセン病弁護団代表の徳田靖之弁護士は、「本来であれば今日の集会は広島高裁松江支部での勝訴判決を受けて皆さんと喜びをともにしながら、これからの運動をどう作っていくのかということについて国会議員の皆さまにお願いし、さまざまなハンセン病問題の解決に大きな一歩を踏み出す集会にしたいということで企画した。しかし、非常にひどい判決が昨日出された」と発言した。「実にひどい判決で、ハンセン病の元患者の方々に対して感染源という言葉を使うという、許しがたい差別、偏見に基づいた判決だった。『ハンセン病に基づく差別・偏見はもともとあった。国が差別を新たに作り出したことはない』といったようなことまで書いてある。つまり、平成13(2001)年に私たちが熊本地裁で勝ち取ったその判決をも一部覆すような言葉が使われている判決だった」と述べ、隔離政策を患者の人権侵害と認めた01年の熊本地裁判決を覆す内容だったことを強く問題視した。「この判決の影響がこれからどういうところに出てくるかは分からないが、そうした不当判決を踏まえたうえで、これからは国会議員の先生方と私どもが一体となって、家族被害の全面解決に向けた第一歩を目指せるような集会にしたい」と語った。
2審判決については神谷誠人弁護士が報告に立つとともに、当事者の家族訴訟原告団・ハンセン病国訴訟原告団・全療協のメンバーからも発言があり、「私たちの命と暮らしを守るため国会議員の先生も司法も力をつくしてほしい」「この判決はハンセン病問題への無理解という重大な欠陥を含んだ判決だ」といった声が続いた。
玉木共同代表は、「怒りと悲しみをしっかりと胸に刻んで、共有して、頑張って行きたい。もう一度作戦を立て直して勝利に向けて頑張りたい。力を合わせて頑張って行こう」と訴えた。